峰尾節堂師百回忌を迎えるにあたっての総長談話

宗務本所

2018/02/09

 峰尾節堂師は大正8年3月6日、千葉刑務所で35歳の若さで病死されました。今年が百回忌という大切な節目に当たっております。

 師は、明治42年1月、大石誠之助氏宅で幸徳秋水氏が語ったとされる話を、ただ聞いたという理由だけで『大逆事件』に連座させられ、明治44年1月18日、死刑判決を受けます。そして翌日恩赦によって無期懲役に減刑されますが、8年間もの服役の後、獄死することになります。

 『大逆事件』は、言うまでもなく、国家による思想弾圧事件として、多くの人たちが無実の罪で死刑や無期懲役となった国家的な謀略事件です。節堂師は漢学に親しみ、俳句に巧みな読書家で、普通の悩める若い僧侶でしたが、彼もその事件の犠牲となった一人なのです。

 当時の妙心寺派教団は、節堂師が拘引されて間もなく、まだ判決が出る以前の明治43年11月14日付けで師を「擯斥」(僧籍剥奪)に処しています。当時の仏教界を取り巻くさまざまな事情があったとはいえ、教団が国家権力に追随し、社会主義運動の防止という役割を担い、更に戦時体制に積極的に協力していったことは紛れもない事実です。

 そして戦後、民主主義の時代になっても、教団は節堂師を顧みる事なく、外部から指摘されて初めて検証を始め、平成8年9月28日、ようやく「擯斥」処分の取り消しが行われ、復階及び復権が認められて名誉回復がなされました。遅きに失したという慚愧の念に堪えません。

 節堂師の事蹟に鑑みて人権の問題を考える時、昨年制定された「テロ等準備罪」が、運用の仕方によっては、一般市民の集会や思想・信条の自由を制限するのではないかという危惧もあります。また、戦後70余年が過ぎ、次第に戦争の悲惨さが忘れられ、国際紛争を武力によって解決しようという風潮が高まる中、宗門の社会的責任について改めて深く反省し、先の大戦で宗門が戦争に協力してきた事実を常に思いおこし、二度と同じ轍を踏まないよう、非戦平和の決意をあらたにせねばなりません。

 ここに、百回忌を迎えるにあたって、節堂師に対する懺悔の念を込めつつ、この世の全ての人々の思想・信条の自由を守り、お互いの生命と人権を尊重すると共に、師の事蹟を忘れることなく啓発活動を進めていく所存です。

                  平成30年2月8日

 妙心寺派宗務総長  栗原 正雄

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